佐藤誠悦氏と 小泉海岸にて祈る〜あなたを忘れない〜

こんな美しく穏やかな海辺
震災.火災で真っ赤に染まっていたとは…
どんなに恐ろしく地獄絵だったことでしょう。
海を憎んだことでしょう。
その想いは12年経った今
浄化されているのでしょうか。
「気仙沼市を訪れなければ」という思いに駆られたきっかけ。それは新宿での私のコンサート時にお会いした
佐藤誠悦さん。その方が出版された東日本大震災の記録を兼ねた自叙伝「亡き妻へのラブレター」を読んですぐでした。


3.11の震災時、気仙沼消防署指揮隊長として最前線に立たれていた佐藤誠悦さん。
その時の津波で奥様を亡くされました。
消防士として人の命を守るべき自分が、最愛の奥様、厚子さんを守れなかったという自責の念。
そして大震災から3年を経た時に、自分が震災の経験・教訓を伝えていくという「覚悟」を決めたこと等が細かく描かれていました。
「大切な人を忘れない」
「生き切る」こと
「語っていく」ことへの並々ならぬ決意。
涙なくしては読めませんでした。

小泉海岸へいきました。
奥様がご遺体で発見されたその場所は、現在は防波堤がたちコンクリートで埋めまれています。
その硬いコンクリートの一角に釘で目印がありました。(這って探さないと気が付かないくらい)

ここにいるよ…って
毎日、佐藤さんが命の会話ができるように。
その後、防波堤を降りて海へ献花をさせて頂きました。



いつもあなたとともに_
愛するあつこの思い出とともに
誠悦
〜あなたを忘れない〜

「命の言葉」を旋律で包み込むとき|癒えない悲しみに寄り添う音を求めて
この時、実際に佐藤誠悦さんにお会いして、心強いお言葉になんども共鳴いたしました。亡き奥様への変わらぬ愛情から「愛」についても深く深く考えさせられました。
その後、私がその後に被災地へ足を運ぶようになった原点には、「佐藤さんの言葉にならない慟哭(どうこく)を、ピアノの旋律で包み込みたい」という思いがあったのかもしれません。
このような方がたくさん被災地には存在するのだなあと何か寄り添いになれば。と。
言葉では届かない領域にある「癒えない悲しみ」に、そっと音を添えていく。この「音の処方箋」を追い求めることこそが、私にとっての復興支援であり、15年目を迎える今、改めて強く想っています。(2026年3月追記:震災から15年目を迎えて)
気仙沼 東日本大震災特別追悼コンサート での講演
佐藤さんには、2024年3月10日の東日本大震災特別追悼コンサート 〜彼方への祈り〜では第1部講演をお願いしております。ぜひ13年目を迎えた力強いメッセージを受け取っていただきたいです。主催は藤波結花ミュージック・プロダクションにて。 詳細はこちら

反響をいただいたコンサート。↓
この時の合同合唱の動画をいくつかアップしております。


