まずはここから出発。東北新幹線 くりこま高原駅に降り立つ

気仙沼市へ 突き動かされる想いとは

くりこま高原駅経由で初めての気仙沼市へ。

こちらでの目的は、東日本大震災当時、気仙沼消防署指揮隊長として最前線に立たれていた佐藤誠悦さんにお会いし、12年前に起きた大震災の現場をこの目で視る、聞く、自ら知ること。

そこから発生した想いを軸に音楽を通してなんらかの形で還元できないかと、模索するためでした。

この辺り一帯も津波に飲み込まれ被災した地域 。復興が進んでいる。

何か突き動かされるような感覚でやって参りました。
こんな感覚は初めてでした。

佐藤誠悦氏とのご縁 衝撃の一冊との出会い

佐藤誠悦さん。自らも、悲しみを抱えながらも気仙沼消防署指揮隊長として務めた大震災当時。12年間走り続けた。

現地ご案内して下さった佐藤誠悦さんは、NHKの特集報道番組に出演されたり、国内外での講演活動を700回近くされている方です。

ご参考に↓
https://www.khb-tv.co.jp/news/14905584
https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20230622/6000023867.html

その佐藤さんとのご縁はといいますと。2023年6月に新宿で開催した諸岡由美子さんとのコンサートにお越しになられ、初めてお会いしました。諸岡さんのお知り合いでした。

その後、佐藤誠悦さんの著書《東日本大震災10年の思い》「亡き妻に捧げるラブレター」に出会いました。
涙なしでは読み進めることができず、大震災時の現地での真実を何も知らなかった自分を恥じました。
心揺さぶられる衝撃ある一冊でした。

「亡き妻に捧げるラブレター」

初めての気仙沼 の海

気仙沼大島の亀山山頂にて 焼け野原だったとは思えない美しさ。当時を想うと切なく複雑な心境に


ずっと思っていた疑問がありました。
それは、津波で大切な方、思い出、家を失った方にとって、「海」はどのようにみえるのか・・・ということでした。

「現地に直接行かねば」という想いに駆られたのです。

気仙沼大島の亀山の展望台にて。この少し下までが震災に伴う火災で焼けてしまったとのこと。恐るべし…。
この12年でここまで再生。そしてこの塔は佐藤さんが関わって建てたそう。

直接、語り部として佐藤誠悦さんに現地をご案内していただけたことは、幸いでした。

3.11当日のこと、そして現在までの歩みを直接お聞きし、報道だけでは語り切れない災害現場の現実に驚愕でした。この世のものとは思えない惨事に命懸けで向き合ったからこその一言一言の重み…


どれだけの人々の想いを背負って、
そして自分を押し殺して生きてこられたのだろう。
改めて「生きる」「使命」を考えさせて頂きました。

気仙沼大島からの絶景 。当時大島は山頂まで焼け尽くされ、「島の歴史が終わる」と覚悟したそうです。
それが、見事に復活。自然の生命力が宿りキラキラしてました。

気仙沼市でのコンサート開催 へと急展開

はまなすホールにて 木の温もりが心地よい

今後のイメージが湧けば良いな…
くらいの気持ちでコンサートに関しては未定でした。

直前に、はまなすホールのスタイン常設ピアノであるスタインウェイは佐賀県から音楽文化の復興のために寄贈されたものだ、という情報をネットで知ったのです。そこで、興味をもち視察を希望したのでした。


驚くべき展開の早さ。トントン拍子に現地での「ひとつの」コンサート開催企画が進みました。佐藤さんの「来年の震災13年目に追悼としてやってみたら」という一言から、動き出しました。くりこま高原駅へ送ってくださる車中での会話でした。

手を差し伸べてくださる現地の方の温かさに感動。辛さ、悲しみを知っているからこその、温かさ、優しさなのでしょうか。

佐藤誠悦様 ありがとうございました。
たくさんの方との出逢い、繋がり・・・

最後は涙でした。

宮城県気仙沼市を訪ねて ② 元気仙沼消防署指揮隊長 佐藤誠悦氏と 小泉海岸にて祈る〜あなたを忘れない〜

こんな美しく穏やかな海辺震災.火災で真っ赤に染まっていたとは…どんなに恐ろしく地獄絵だったことでしょう。海を憎んだことでしょう。 その想いは12年経った今浄化されて…

気仙沼コンサートの実現へ

2024年3月10日はまなすホール
東日本大震災追悼コンサート


〜彼方への祈り〜
詳細はこちら


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こちら佐藤誠悦氏の紹介動画です。